皆様、こんにちは。
お元気でお過ごしですか?
今年のGWも思いがけず、
自粛ウィークとなってしまいましたが、
あまり外出しづらい今だからこそ、
逆に、内を充実させていく、
そんなチャンスが到来しているのかもしれないと捉え、
元気に、凛と過ごしてまいりましょうね。
さて、今月のことのは通信ですが、
5月10日に発売される新刊―
「一寸先は光です―風の時代の生き方へ」の中より、
皆さんと分かち合いたい箇所がございますので、
それを転載させていただきたいと思います。
少々長いのですが、よろしければご一読下さいませ。
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日本語という宝
幼い頃、母によく日本の昔話を読んでもらっていました。
桃太郎にかちかち山、浦島太郎にかぐや姫…特に、乙姫様とかぐや姫が出てくる姫物語はお気に入りで、お月様から、本当に使者がやってくるんだと思っていました。
成長するにつれて、さすがにそうは思わなくなりましたが(笑)、その代わりに、百人一首や源氏物語、枕草子、万葉集といった世界に夢中になりました。しだいにそれだけでは物足りず、伊勢物語や更級日記、とりかえばや物語など、とっつきやすそうなお話を片っ端から読みながらうっとりしていました。
しかもそれを一生懸命読んでいた時期は、本当は、そんな時間のゆとりなどない、子育ての真っ最中の時。
なぜこんなに惹かれるのか不思議だったのですが、今思えば三つの理由があったんだろうなと思います。
一つは今とは違う、ゆったりとした時の流れがしたためられていること。
二つめは、時を経ても変わらないものと、変わるものの違いを知りたかったこと。
三つめは、日本語の美しさと、そこから醸し出される情緒が、何とも言えず素敵だったこと。
特に、日本語の大和言葉の美しさは絶妙で、読むだけで、しっとりと柔らかな情感に包まれる気がします。
おそらく、子育て中に夢中になった理由は、現実が、しっとりと柔らかな…という世界とは真逆で、かつ、時間に追われてガツガツしていたからだと思います。
ちょうど、その頃からでしょうか。
私は日本語という言語が持つ特性に興味を覚え、言語学や音声学、歴史、国学、文化論などの本を読みあさるようになりました。
知れば知るほど奥深い、日本語という世界。この世界を追求していくことは、おそらく生涯の趣味になるんだろうなと思います。
さて、日本語という我が国特有の言語は、日本人が所有する最も古い文化であり、今もなお現存して活用されているという、生きた文化そのものでもあります。
着物、茶道、和食、禅、浮世絵…、日本の文化と聞いて浮かぶものはたくさんありますが、国民への浸透度と歴史をかんがみると、日本語に勝るものはありません。
この日本語、どこから来たのかというと、実はまだわかっていないんですね。
系統不明な独立した言語、と云われています。
日本語の表記には、ご存じの通り、ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字…など、たくさんの種類があり、さらには漢字に音読みと訓読みが加わるので、外国人が日本語を習得するには、最強難易度に属する言語なのだとか。
その言語を自在に操ることのできる私たちは、実はとてもすごいことなのかもしれませんね。
ちなみに、「外国語習得ランキング」(アメリカ国務省の調査)においては、世界中で一番、習得するのが難しい言語として、堂々の一位を取ってしまったそうで…、しかも同じ難易度となる言語は他には存在していないという、オンリーワンのお墨付きまで頂いているんです。
理由としては、
1.漢字に音読みと訓読みがあること。
2.必須語彙数が多すぎる。
3.主語が省略されていて記述が曖昧である。
4.オノマトペ(擬音語・擬態語)が多い。
5.方言が多い。
からなんですって。ふーむ、なるほど、ですよね。
私の周りには、日本語を話すことのできる外国の友人が何人かいるのですが(すごく優秀だったのですね!)、彼女たちがいっていたのは、母国語を話すときと、日本語を話すときは、なぜか性格が変わるのよねーといいます。
どんなふうに変わるのかというと、声も穏やかになり、優しい雰囲気になるそうです。確かに、私も英語やイタリア語(まだ初心者ですが)を話すときは、はっきりと自己主張する人になるし、日本語に戻ると、まったりとしている気がします。
この日本語、かつては主語が曖昧で、明瞭さに欠けていることが、他の言語より劣っているのかと思い、なんだか嫌だなぁと思った時期もあったのですが、よくよく調べていくうちに、むしろ、全く逆であることに気づきました。
主語がなくても通じる、ということは、主語がなくても通じるほどに、共通理解がある、ということでもあるからです。
もっというと、見えない主語が存在していて、それが、通常は意識されることがないので、結果として主語は無しになってしまうんだなと思いました。
ではその見えない主語とは誰か?
それは天であり、カミであり、大いなる尊きものという感覚です。
神といっても西洋的なGODではなく、古代の人々が、目には見えない不思議な力、森羅万象を繰り広げていく、尊き奇しき力のことを「カミ」と呼んで敬ってきたのですが、そのカミ(神)が、見えない主語となって成立している言葉が、日本語になっていったのだと考えています。
そこには、いにしえの人たちが、その尊き見えない力によって、自分たちも生まれていること、つまり、自分たちも元をただせば「カミ」であり、その「カミ」の大いなる力を分け抱いた分身、分けミタマであると考えていたのだと思われます。
そう考えると、私とかあなた、誰、彼と、はっきりと、明確に区別して、違いを浮き上がらせることにフォーカスせずとも、もとは一緒の「カミ」から生まれた同胞、同志なんだからと、見えない同じを共有する感覚があるからこそ、主語を明確にしない文化(言語)が育っていったのではないかなと思っています。
古来からの日本語は、大和言葉という訓読みの日本語の中にあらわれるのですが、たとえば日常生活の中でよく使う言葉である「すみません」という大和言葉は、「ス」と呼ばれる根源のもの―「カミ」なるものに対して、まだ済んでいない、借りがありますよ、という意味で「すみません」になっていると考えます。
また、「おかげさまで」という言葉も、何の影(蔭)なのかというと、その根底には、見えない大きな力によって生かされています、ありがとうございます、という想いの省略版になります。
ちなみに、太陽は「おひさま」で、その光を受け取って輝いているのが「お月様」ですよね。ということは、お月様が輝いているのは、太陽のおかげであり、「おかげさま」でもあるのです。
おひさまの「ひ」というのは、根源、尊いもの、いのちのもと、カミという意味でもあるので、私たちはそんな「ひ」の恵みを受けながら、「ひ」のおかげさまで生きてきたんだなと思うのです。
たとえ、「いや、そうじゃなくて、誰々のおかげなんです」と思ったのだとしても、その誰かを遣わしてくれたご縁の先には、すべてとつながるいのちの尊き世界―「ひ」が運んでくれたものであるという、見えない共通認識があるのではないでしょうか。
そういえば私たち人間の大和言葉は「ひと」です。
「ひ」(霊)を止めるもの、「ひ」が留まっているものが、人(霊止・霊留)だったんですね。
日本語使いであるとういことは、知らず知らずのうちに、古代人が直覚していた世界観―大いなる意識、カミの世界、「ひ」の世界が、自分とあなたとすべて事象をつくっているんですよということを、連綿と受け継ぎ、今に至っていたということでもあるのです。
自然のありようを、あるがままに捉えて、それを音として表し日本語のもとを創っていった、遥か昔、いにしえの人々たち。
太陽と先祖、自然を敬いながら、素直に素朴に生きた彼らの感性が織り込まれている日本語を、これからも喜びをもって使いたいと思う今日この頃です。
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あらためて、日本語使いの達人(!)である私たち一人ひとりは、
この日本語という宝をありがたくいただいて、
日々を丁寧に創造していきたいなと思います。
さて、長々と綴ってしまいましたが、
今月の雅楽をご紹介いたします。
今月の雅楽は、
「更衣」(ころもがえ)です。
この曲は、雅楽の中の「催馬楽」というジャンルになります。
催馬楽というのは、当時の日本の民謡に、
雅楽の楽器で伴奏をつけてアレンジしたものです。
ゆっくりと歌っているので、どんな歌詞か
わかりづらいかもしれませんので、こちらに書きますね。
更衣せんや しゃきんだち 我が衣(きぬ)は、
野原篠原 萩のはなすりや しゃきんだちや
というものです。
歌は、まずソロでゆっくりと
「こーろーもーがーえー」と発声するのですが、
そのこぉーろぉーもぉーの三つの音が、
すべて「お~」で終わるのが、
ちょうど、神楽で神様を呼ぶときの警蹕…、
「お~~~お~~~」を想起することが出来、
歌を通して神様をお招きしているかのようです。
しかも、笏(しゃく)でパン、パンと
たたき合わせて音をだすところが、
ますます神社っぽい(笑)。
曲は、ゆったりとしながらも、
途中から笙や横笛、琵琶などが入り、
華やかさと繊細さが増します。
私はこの曲を聴くたびに、
催馬楽は日本のグレゴリオ聖歌だなぁと思います。
外の世界は、ちょっとざわめいているかもしれませんが、
いついかなる時代も、知恵を絞りたくましく生きてきた、
祖先たちが残した悠久の調べに少しの間でも心を寄せて、
ゆったりとした上質な気持ちへと、
シフトしていけたらいいなと思います。
それでは皆様、我が国の人々が古来から
はぐくんできた心―和心を大切にして、
緑の美しい季節をにっこり朗らかに、
過ごしてまいりましょう。
どうぞお元気でお過ごしくださいませ。